湯島聖堂に先日行ってきました。
生徒の学業成就と、受験生については合格祈願をしてきました。
孔子が祀ってある湯島聖堂。
大昔の中国に思いを馳せながら、色々と考え深いものがありました。
湯島聖堂の中にいると、人々は学ぶことに本当に真摯に向き合っていたんだと感じます。
かつては、知識=知恵=生きていくこと、と学ぶことは人間として生きるために必要不可欠なものであったのでしょう。まだ文明が発達していない時代、飢えや争い、様々な困難があったはずです。「学ぶ」ことで、その困難を乗り越えてきたのではないのでしょうか。学び、知識を身につけることこそ、自分の人生、もっと広い意味では自分の家族、国の行く末を切り開いていくものだったのだと思います。だからこそ、必死に勉学に勤しんだのだと思うのです。
私も含め、現代に生きる人間は勉学に対してはどうもいい印象を持っていないと思います。勉強なんてめんどくさいな、わからないな、そんな気持ちが先立ちます。
本当に生きるための学びとは何なのか、私自身思い返す機会となりました。
年に何回かは行こうかな。
コメントをお書きください