何をもって落ちこぼれか?

なかなか秋らしくはなりませんね…今年の夏は天気が悪かった…

気圧の変化で体調がいまひとつの日が多かった気もします。

祈ってもらわねば!

さて、本題。

落ちこぼれという言葉がある。

何をもって落ちこぼれなのか。

その集団で学んでいる学習、運動、行動全般についていけない子は「落ちこぼれ」とされるだろう。

つまり、大多数についていけないということである。

 

この世の中は効率的、生産的なものを好む。当然だ。そうしないと社会は成り立たない。会社に入ればなおさら。この時間でこれだけのことをできる、ということが評価されるのである。

 

学習に置き換えてみれば、1年間の間にその学年相応のものを学習できることが理想とされ、それが目指される一つの形でもある。もちろん認知発達の段階に沿って何ができるのか、というのは大切な指標であり、それを元に学習内容は決められているのは自然なことだ。

 

だが…もっと広く考えれば人の学ぶべき時期、内容というのは他者が決めるものでもない、と最近はつくづく感じる。

勉強に限らず、様々なライフイベントが人生にはある。だが、それを全て順調にこなせる人などいるのだろうか。私は疑問だ。

 

はやく学ぶ子もいれば、ゆっくり学ぶ子もいる。

 

自分自身が年を重ねる中で、ああ、今自分はこういうことを学んでいるんだ、と思うこと、気づくことが増えている。もっと、ポン、ポン、ポンっと学べれば良かったと思うことも多いけど、それもまた理想。だけど、それは遅いってことじゃなくて、それが自分にとっての最適な時間、スピードだったんだな、と思う。

 

もちろん、環境も大事。環境は選べたらいいけど、子ども時代はなかなか選べない。

 

思考、運動機能、心が整って初めて、その年齢相応のことができるものだ。複雑な現代社会で3拍子しっかり成長できることの方がまれである気もする。

 

きっとどんな子もいつか学ぶ時があり、形を変えて別の時間・場所で花開くのかもしれない。そんなことを思うのでした。