環境に対する手応え=自信

自信とは「環境に対する手応え」である。これが一つ私が考える自信の概念である。

環境に対するものは自己である。つまり、自分という人間があり、その周りに環境と言う空気のような?ものがあるイメージである。

自分の輪郭する線の外側、と考えてみると良いかもしれない。

自信がないと、何もやろうとはしない。なぜならば、環境に対して働きかけたところで何も返ってこないからである。

なぜサッカー選手はボールを追うのか、ボールを追い、自分のものとすればシュートできる、パスをつなぐことができる、そう思うから動き出すのである。

勉強でもそうである。もし、どうせ無理、とハナから思っていれば問題を解こうとはしない。結果、空欄が多い解答用紙になる。

勉強、スポーツを例に出したが、そんなことはわかりきったことなので、もっと深めていきたい。

 

自己と環境の間には主・従の関係がある。自信がない状況というのは、環境が主となり、自己は従となっている。

つまり、環境に主導権をとられているのである。ここの感覚があるかどうかが重要。

常に人生は自分が主導権を持つことが必要である。だが、環境に働きかけることができない時には環境に全てを預けることになってしまう。

つまり、環境が主、自己が従となってしまう。日常生活において、この関係が全てにおいてあると思う。

環境には当然、人も含まれる。広く言えば、世間である。

 

では、話を元に戻し、「環境に対する手応え」を身につけるにはどうすれば良いか。

自分自身の経験則が強いが、自分だけで決めたこと・考えたことを実践してみること、によるしかないと思われる。

ここは当然、環境ではなく自己なので、自分だけ、というところがポイントでもある(独りよがりとは違う)。

しかし、ここはある種の勘が大きな影響を及ぼす。また、自己と環境とのマッチングも関係する。

 

ある程度、自分でこうかな・・・と思ってやってみたことに対する手応えがしっかりと戻ってくる環境で、何度も自己と環境とのキャッチボールが成立することが必要不可欠であり、ここが基盤となり、他の環境でも自己を発揮することができる。

自分という人間が環境に影響を及ぼすことに対して恐れがないこと、変えていこうという姿勢、これがメンタリティとして必要である。

 

私自身、若い頃は、自己と環境のマッチングがなかなか上手く行かず、勘も良くない方だったので(ある種のコミュニティの中での)、この手応えを手に入れるには時間がかかった自覚がある。もちろん今も修行中である。

 

手応えを手に入れるには、個人差があるが(こればかりはしょうがないかもしれない)、失敗もある、傷つくこともある。

だが、試行錯誤を繰り返せば何となく自分なりの自己の発揮の方法を手に入れることができると考える。

とまあ、なんだか簡単に考えれば大したことないことなのだが、この感覚的なものを日頃から考えていくのも人間の成長へのヒントになると思う。