運動と脳、学力の関係

今話題の本である、「脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方」 ジョン J.レイティ ,エリック・ヘイガーマン (著),野中 香方子 (訳)、を読んだ。

 

ここに書いてあることは日頃私が思っていることが科学的に書かれており、非常に共感を覚える内容であった。

端的に言うと、タイトル通りである。とにかく運動が必要である、ということだ。また運動をすることで、メンタルにも良い影響を及ぼし、とにかく運動をすることは良いことであるということが書かれてある。

 

子どもが運動嫌いになるのはなぜか、それは単純に体を動かす、という点に対しての快感や楽しさを得る前に能力の差、競争の原理がどうしても入ってしまう、ということであると思われる。学校の体育教育においても徒競走をやれば必ず、順位がついてしまう。しかも、体育の教科としての特殊性は人から見られる、という点である。

なかなか自分がどれだけ取り組んだか、ということに目が行きにくい。

この本の中で取り上げられているアメリカの体育指導の方法であるが、運動嫌いの生徒に対しても空き時間にエアロバイクをこぐことによって、そこで努力を評価し、評定に加点できるようにしたことがあった。すなわち、能力ではなく、どれだけ自分なりに取り組んだのか、ここに重点を置いているところが素晴らしいと感じた。

また、学生達は、卒業後も運動が自分の人生において大切なことである、という認識を持って生きているようである。つまり、衣食住と同じようなレベルでの運動が必要である、健康には運動が不可欠である、というところに考えが至っているのだと思われる。そもそも健康であるには、どうすればいいのか、そこの点を考えさせることが教育的には大切である。

 

また、運動を効果的にカリキュラムに取り入れることで学力も向上した、とのことである。勉学と運動は表裏一体なのである。

 

人間が原始的な暮らしをしていた時のことも書かれてあった。

我々が原始人であった頃には、毎日何キロも歩くことは当たり前であった。そうしないと獲物をとることはできない。文明が発達していない分、体を動かすことは、生きること、であったということである。

しかし現代はどうか、電車通勤は欠かせないし、駅に着けばエスカレーター、エレベーター、できるだけ時間を短く、早く(速く)運動量が少なくなるようにプログラム化されているようなものである。

ジムに行って走るということは、原始人から見ると本当に不思議に映るに違いない。

 

このようなことから現代人は非常に運動不足なのである。おそらく人間という生物体を活性化し、様々な活動を行う中で必要な運動量が絶対的に足りていないのである。極端に言えば、原始的な生活に戻るような形こそ、人間らしさを取り戻すことであると思われる。

 

そして、この本の著者、レイティ教授は体育理論やスポーツ科学の学者ではなく、臨床精神医学の准教授であるということも注目したい。本の中には、ストレス、不安、ADHDなどの言及がなされてある。現代社会の精神的な問題、課題に対する対処の一つが運動である、ということである。

これについては私も非常に共感を得た。特に発達障害は様々な療育技法があるが、体を動かすことは脳を動かすことであり、切っても切れない関係なのである。脳機能のことを考えると、体の動きを活動の中に取り入れることが大切となり、全てつながってくるのだ。今までの子ども達への指導の経験からも実感を持って感じられることである。

 

結局、単純なところにいきつくのであるが、いくらドリルをさせたり、いろんな教育アプローチを行っても自分の体を思い切り動かす、という経験による効果に勝るものはないのでは、と考える。つまり一見、遠回りに見えるが、イスに座って何かをするよりも外で活動をさせることがゆくゆくのその子の成長につながるのである。

現代では、そこに~トレーニング等、色々な方法論が取り上げられるが、理屈で考えるのではなく、とにかくどんな形でもいいから体を動かすことが大切だと思う。なぜならば、いくら我々が効率よく効果的な運動をしたところで、原始時代の運動量には到底及ばないからである。意識したいことは、日常的なものから、つまり特定のいわゆる、スポーツ・競技をすることではなく、純粋に体を動かす、というところに力点を置くことが重要であると考える。

 

塾でも学習時間は短くなるが最初の導入の時間は公園に行って軽く運動をさせている。勉強の時間だからといって運動を入れないでいいというわけでもない。これは逆もまた然りと思える。

 

子ども達も集中が続くようであるし、ぼんやりとではなく集中している時間になってきているという印象も持つ。

これは発達障害や特性のある子だけでなく、学校の現場でも積極的に取り入れていい考え方ではないかと思う。