大人の姿~働くことを通して~

現代人は何のために働くのでしょうか。

 

お金のため、家族のため、自己実現のため・・・

 

なので、皆、働きます。

 

朝起きる、寝ぐせの髪を水道水で濡らし、何とか体裁を整え、女性はお化粧。ゴミ出しをして、ちょっと部屋は汚れているけど、まあ仕方ない。朝になって、着る服がなかったりするのもよくあること。慌ててアイロンをかける。子どもがいればもっと慌ただしい。自分のことは二の次。まずは子どもにご飯を食べさせ、保育園や幼稚園、小学校まで送り出すまでは一苦労。自分の子どもだからといって思い通りにはならない。否、自分の子どもだからこそ上手く行かない。子どもを送ったら、そのまま職場へ。職場に行くのもなかなかの労力がいる。満員電車にいるだけで、ちょっと一仕事のような感じ。

 

職場についたら、メールチェックから今日のやることを整理して、気づいたらオフィスの喧騒の中に自分がいる。家の自分ではなく、職場の自分。色々理不尽もある。距離感も大切。友達でもないし、かといって仲が悪くなるのは避けたい。

適度な態度で適度なコミュニケーションを行う。人間が介在するから、どうやっても自分の思い通りにはならない。

だけど、仕方がないと、頭の中を言葉が反芻する。

 

上司に怒られる。反発したくてもそれはできない。職場の空気は崩れる。ふとした時の相手の表情、言葉の節々に~もしかして、という疑念も生じる。頭で振り払って、またパソコンと向き合う。

 

ちょっとした時に職場で笑い声が出る。そんな時はふっと力が抜け、人間っぽいな、と感じる。でも定時までは職場で仕事をすることが第一目標。とりあえず何事もなく定時まで、退勤までの時間を過ごすことが最も良いこと。

 

家に帰って家族の顔を見ると、ああ、皆今日も頑張って一日を過ごしたな、良かったとふとこれまでの大変さが肩から下りる。

だけど束の間。家事や子どもの世話、寝かしつけ、風呂と食事ちょっとのテレビでもう時間切れ。また床に入る。

 

何のために働くのか。家族のためか。家族を養うためのお金は本当にそれくらい必要か。人間を活かすお金はそれほど必要だろうか。何気ない日常を少しでも続けたい、そんな想いを持って人は働く。

 

この日常は本当に私たちが得たいと思っている日常でしょうか。

私たちは頑張れば報われる、そういう信念の基に日々を生きます。そうやって教えられてきました。ですが、その頑張りは、その努力は本当の意味で自分というものを豊かにしているものなのでしょうか。

理想的な生活と思える洗練された情報は本当にそうでしょうか。ただ、事象の一端を切り取っているだけなのではないでしょうか。

 

お金というわかりやすい形は私たちに安心感を与えます。自分の未来を保証するもの、そう感じます。

その未来は本当に自分が望む未来でしょうか。

 

今が過去から見た未来だとしたら、その今はあなたの願いを叶えているのだろうか。

あなたという人間は本当に今を生きてるだろうか。

あなたは最近、心の底から笑顔になったことがあっただろうか。

 

仕事をする以前に私達は一人一人の人間である。不完全さが人間を作ります。

もっともっと人間らしくていい。自分という人間のあるがままの姿に向きあってもいい。

 

大人はそんなに強がらなくてもいい。

子ども達が本当になりたい大人は強い人間ではなく、弱くも、強い人間なはずだ。