落ちこぼれだった私。

高校時代、私は落ちこぼれであった。

 

中学とは違い、同じ学力の子が集まる高校では、それまである程度の学力を維持できた自分は中の下くらい。

勉強しようにもなかなか身に入らず、どんどん学力は落ちていった。

 

1年生の化学のテストでクラス最低点をとったこともある苦笑

だが、そんな時もどこか、誇らしいというか、どうせわかんなんだったら一番悪くていいや、とやや自暴自棄で、周囲には笑ってすませていたのであった。成績が悪い、という方向で存在感を持つことができたということだったのだと思う。

 

高校を悪く言うつもりはないが、当時は毎回テストの順位表が貼り出され、それであいつはこうだ、ああだとよく皆で言っていた。

そこに載らない自分には価値がないのかな、と中学までそれなりの成績を残した自分にとっては受け入れがたいものがあった。また今思えば知らず知らずに順位付けに縛られていた。

また当時の九州では朝特課(現在はほとんど廃止の流れである)が当たり前にあり、毎日眠たい目をこすりながら7:30から授業を受けていたのである。自分にとってはもうそれだけで苦行。

そんな夢うつつで授業を受けていた自分が考えることは、“俺だったらこの内容はこういう話をして解説するけどな・・・”という頭の中の模擬授業であった。当時はなりたくない職業1位が教育者だったが、この頭の中の妄想を今体現しているのかな、と思うと不思議である。

 

なんだか学業や部活で良い成績を残している同級生を見ていると、何とも言えない気持ちがどこかありながらの高校生活であった。

学業、部活動、生徒会等の活動のいずれかで秀でた結果や存在感を残せなければ居場所がないような感覚があったのだった。

当時の私は、周りの評価に本当に縛られていたのだと思う。

 

学校の評価軸で評価をされない自分は当然、先生達の話も素直に聞けず、どこか反抗的な目をしていた。

 

結局、3年生になって少し素直にもなり成績も伸びたが、大学には落ちてしまった。

 

しかし、これが自分にとってはある意味ターニングポイントだった。

 

その後、予備校に通った私はそれまでの価値観を覆すような感覚を覚えたのだった。

予備校に集まる子は、大学にいけるかどうかわからない子から東大・京大を目指す子まで本当に多種多様、そこには「比較」という概念が発生しなかった。しなかったというよりも比較・評価ができない場所・空間だった。

 

無理やりこれをしなさい、ということはほとんど言われず、むしろ自分で授業を決めて学習するという主体性が重んじられた。当然、途中で来なくなる子もいたが、自分はそのくらい放任の方が伸び伸びとしたものである。

校則もなく、服装でいちいちあれやこれやと考えることもなくなった(自分にとっては制服の着こなしで、スクールカースト的な空気が発生するのが本当に嫌いだった)。また、田舎育ちの自分は都会暮らしが新鮮であった。

 

それまで自分自身をがんじがらめにしていたものが、そうではなかったのかも・・・と感じられた世界だったのである。それは自分自身を本当の意味で自由にしてくれた環境であった。

その時に努力した自分は今でも残っているし、やればできるかもしれない、と当時は新しい自分を知る一歩だったかもしれない。

自分なりの学びを創ったのだろう。

 

だからこそ、この学びを創るような塾でありたいと思う。

学びを創る、stadia-educationです。