大人になること~イニシエーションがない社会~

イニシエーション、通過儀礼と呼ばれるものがある。

 

通過儀礼を通れば大人の仲間入りである。

バンジージャンプも通過儀礼の一つという。

 

通過儀礼にはある種の痛みや苦しみがあると思われる。

韓国では徴兵制があるが、男性にとっては一種の通過儀礼のようなものだと言う。

 

では、今の日本に通過儀礼はあるのか。

ないと思う。

 

成人は18歳、だが、その年齢で課されるものは特にはない。

普通に勉学に勤しめば高校は卒業できる。

 

成人式はどうか。自分自身、恥ずかしいが久しぶりの旧友と出会い、ただ楽しい時間を過ごした、それで終わった気がする。

 

結局、自分自身の中で大人になる場面を設定しないといけなくなった。

その場面自体も誰かが規定するわけでもなく、自分の中のものである。

 

長い人生を見渡すと、あの時、それまでの自分と違うものになったな、と思える瞬間があった。どれも苦い思い出だった。

これからの子ども達はどのようにして「大人」になるのだろうか。

 

自分は本当に「大人」なのだろうか。「大人」は本当にいるのだろうか。

仕事をしながら、そういうことを思うのでした。