夜回り先生より

一時期読んでいた、夜回り先生(水谷修先生)の本、「ドラッグ世代」太陽企画出版より、落ちこぼれについて。

 

落ちこぼれがどうしても出てしまう、高校の教育課程についてこのように書かれてある。

「数学や理科などの分野に目を向ければ、他の国と比べ高度な内容であり、戦後の高度成長は、この高度な知識を義務教育課程で学んだ人々が押し上げてきたものだった。~」

 

「九年間の義務教育の後を受ける高等学校の教育内容は、専門的かつ高度である。差別的発言かもしれないが、高等学校の教育科目をすべて正しく理解することは、全国民の二~三割程度がかろうじてなし得るかどうかという高度なものであった。」

 

「昭和二十年代~三十年代のように、高等学校進学者が全体の二〇~三〇%であった頃は何の問題も生じなかったが、現在のように、中学校卒業者のほとんどが高等学校に進学すると、大きな問題となった。

 戦後の数次の教育課程の変更によっても、この本質的な教育内容の質・量の変化はほとんどなく、高等学校教育において、過半数の生徒が何らかの形で「落ちこぼれ」ざるを得ない状況が生じた。」

 

このようにあるのだ。

 

私から言わせれば、中学校の教育課程も非常に高度であると思う。数学は、算数ではなく、数学、つまり学問である。

日常生活で使うのは算数である。

わからなくなるのは当たり前であり、英語だって話せる人がいったいどれだけいるだろうか。

これに加え、現在では、プログラミング教育や色々な学習をこなすことになる。

 

そんなパーフェクトにできる人がどれだけいるか。

義務教育だから誰でもできるわけではない。単純に中学校以上の学習は高度なのである。

できないからと言って落ち込む必要はないし、落ちこぼれではない。