中1ギャップを考える。

中1ギャップという言葉があるが、子ども達を見ていて、やはり小学校と中学校では大きな違いがあると思える。

母性的な小学校と父性的な中学校、それぞれ持っている役割が違うと思うのである。

 

年齢は同じであってもそれぞれの成長の具合は子どもによって違う。ある程度その許容範囲が小学校は広いが、中学校は規律的になり狭くなるものである。

 

今考えれば、身体的な成長とそれと共に心理的な成長が早熟な子は中学校生活に早く順応できていたな、と自分の中学校時代を振り返って思う。私といえば、背も低く、なかなか中学校の生活に慣れるのに時間がかかったように感じる。中3の先輩たちは普通に男女問わずに怖かったものである(というか大人に見えた)。今になって改めてけっこう無理をしていたんだと気づくが、なぜ順応することがきついのか、当時は客観的に自己を捉える余裕がなかったのである。

 

また、中学校生活という点で言えば、特に女子生徒はより、人間関係にシビアなところもあるかと思う。

男子よりも、女子の方が心理的な成長も早く、人間関係の機微にもよく注意が向いている。そういったところから人間関係の構築の部分で思春期の時期には男子よりも多くのことを悩むものである。

 

もちろん、男子も同様に悩むのだが、成長の差で言えば体の大きさである。やはり体の大きな子(中学生の体格の子)は十分に中学校という環境に自分を当てはめることができる。体がまだ小さいとなかなかそこが上手くいかない。大人と同じくらいの背の中3生は怖い存在でもあるのだ。

中学校3年生と1年生を比較すると、同じ規格の教室という箱の中に同じ人数の子どもがいること自体、違和感がある。体の大きさが違うのだから、それぞれの占有する面積が明らかに違うはずである。

 

まとめると、中学校という環境自体がもちろん学年の違いはあれど、基本的には中3の発達段階を基準として様々なものが作られていると思えるところが多い。ただ、それによって振り落とされてしまう子も少なからずいるのではないかと思うのである。

 

基準にやっと辿り着いた、と思える時期が中3になってからであれば、その子の中学校生活はやっとそこから始まった感もあるかもしれない。

 

ただ、本当に早熟であることが良いことか、と言えば一概にそうとも言えないはずである。

人の成長というものは何を持って成長なのか、という時点で答えもなく、早い、遅いというものでもない。

ただ、そこに出遅れた、という気持ちを持ってしまいがちな部分がこの小学校・中学校の接続においてあるのではと思えるのだ。そういった気持ちを持ってしまい劣等感を感じるのは損であり、もっとむしろ大人側が寛容な姿勢で子ども達の成長を見てあげる心の余裕が必要だな、と思える。

 

また同時に、この感覚は社会に出てからの職場での順応も同じようなもので、人がどの時点で成長するかは周りの人間にはわからない。ただ、見守る、ということしかできないのだ。

 

中学校の時は色んなことに悩んでいたな~と塾の生徒達を見る中で自分の中学校時代を思い出し、考えたのでした。