発達障害と他者視点

発達障害、特にASD(自閉症スペクトラム障害)の子、またその特性が見られる子どもは他者視点が難しい。コミュニケーションにおいて齟齬が生じることが多く、本人自身もどこに問題があるのかに気づいていない場合が多いと思います。

 

一つは、ASDの人といわゆる定型発達の人というのは、文化が違う、ということであると考えられています。

定型発達側からすれば非合理的なことであっても、ASDや特性のある人からすればそれは合理的な判断、コミュニケーションの取り方であったりします。それは、国籍が違う人がお互いの言語を話し、意思疎通ができていないことにも似ています。

 

発達障害は社会が作った、という言説もあります。すなわちコミュニケーションが複雑化したことにより、社会通念上の常識的なやりとりが難しい人が自然に生じている、というものです。

 

常識的、という点では、多数派が持っている価値観やコミュニケーションの取り方が採用されます。なので少数派の発達障害がある人にとっては受け入れがたいものだろうと。

なので、発達障害のある人は他者視点がとれない、というのもそれは他者として定型発達の人を想定しているのであって、それもまた一方的な言論の方向性ではあります。

 

自閉症という言葉からも自分に閉じこもる、という意味合いが含まれます。そもそも自分の中に閉じこもることがいけないのか、という根本的な問いにもそういう子達と関わっていると考えるところです。

 

ただ、基本的に人間とは人と関わろうとする生き物だと思います。でなければ定型発達の人がコミュニケーションがとれないといって問題意識を持つこともないと思われるからです。

 

これまでの経験から、ああ、そうだったんだ、と思える子どもとの関わりは多いです。それはその時、初めて子どものことが理解できた、共感できた、ということなんだと思います。

こちらがあまりにも知ろう、とする姿勢も違う気もしますし、そこは発達障害であるかないかでもなく、お互いに50:50の関係でもあるように思います。ただ、そういう子を持っているお母さんからすれば、もう少しわかって!と思う気持ちが出てくるのは自然だと思います。

 

意外と知識も経験もなく、純粋に関わっていた学生時代の頃の方がそういう子との関わりはできていた気もします。

やっぱり人間としていかに付き合うのか、というところに最終的には行きつくのかもしれません。